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3月10日、スコップ団の花火見えるかな~

「ここから、よく見えるんじゃない?」
鍼灸師の椎名さんが、スコップ団のパンフを持っててくれました。
そうだ、スコップ団、カッコよかったです。
 
とも子助産院の庭?にそびえる泉が岳(ウソです)から、震災前夜の3月10日に花火をあげて、活動休止に入るのだそうです。
 
震災後、何をやっても、エライ人達から「勝手に動くな」としかられた。
 
ただでさえ組織に縛られたくなくてフリーになってる開業助産師達が、
「事件は現場で起きているんだ!会議室でおきているんじゃない!」と織田裕二ばりに
血を吐きそうになりながら、もがいていたとき、
スコップ団も様々な批判を浴びつつ、ガレキ処理に奔走していた。
 
宮城の方なら、ご存じスコップ団。
とにかくカッコよかったですね。
カッコイイってことは、大事です。
 
「スクウのは泥だけじゃないんだよ」みたいなキャッチもきまってて、
できるものなら、私も、一緒にガレキ処理について行きたかった。
 
ガテン系の人達が、とにかくカッコよかった震災後。
統率のとれた自衛隊や消防・警察の方々も素晴らしかった。
でも、しかし、やむにやまれぬ気持ちにつきあげられて、とりあえず動き出した人達に共感する。
あとから批判は誰にでもできるけど、そのとき、何をしたかは、何もしなかった人には、言われたくない。
 
原発事故のあとの官邸だって、「子供のサッカー」のようだったと。
ひとつのボールにみんなが集中し、俯瞰して全体に指示を出せる司令塔はいなかったと。
 
「勝手に動くな。組織はまとまって行動するもの!」とツバ飛ばしていたエライ人達と戦って、
毎日腹を立てていたけど、官邸だってそんなもんだったのかと思うと、
ま、こんな大災害、みんな初めてのことですもんね、しょうがないかあ、
と、ちょっと許す気にもなる。
 
みんなが極限状態に陥って、人間関係の良さも悪さも増幅し、とにかく疲れた1年でした。
物資がないより、収入が減るより、人にやられた1年でした。
 
なんで、震災前夜に花火なんだ~?不謹慎とは、ごもっとも。
でも、天国にば~んと花火を届けて、一周忌を迎えるってのは、実にいいアイディア。
明日、スコップ団に寄付を送金だ。
 
震災にまぎれて死んでしまった父も泉が岳のすそ野に眠っている。
ぜんぜんお墓にいってないけど、毎日思いだすよ。おとうさん。
きれいな花火がいっぱいあがりますように。
寄付がいっぱい集まりますように。
スコップ団ありがとう。
ホント かっこいいよ。

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