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気仙沼 訪問

 

 

佐藤由美子助産師と伊藤で、気仙沼の編み手さんたちを訪問してきました。

海の方は、津波被害で荒涼とした風景が広がっています。

 

 

編み手さんたちが、自慢のお料理でもてなして下さいました。

いろんな手作り作品をみせていただき、おしゃべりに花が咲きました。

とはいうものの、皆さん、ご高齢で耳が遠く、どのくらい伝わっているのかは不明。(^_^;)

 

復興市場で買い物をして、帰路へ。

「怖くて、海の方になんかいけないよ。津波の前の様子を知らないから、壊れたところをみてもそれほどじゃないかもしれないけど、

以前の町の様子を思うと、とてもみたくない。第一、また揺れたら、どこに逃げたらいいの?ああ、いやだ!」と

港によって帰ると話すと、いわれました。

そうだよねえ~なんて、いいながら

仙台に到着したとたんに、また、大きな余震。震度5!ぎゃ~!!!

後から電話してみると、気仙沼の編み手さんたちも、みんなまた高台へ避難したそうです。

いったいいつになったら、落ち着いて暮らせるのでしょうね。

もう、地震はお腹いっぱい。結構です。勘弁して。

(伊藤)

 

 


福岡からのお客様

福岡の助産師さんから「1週間ほど東北旅行を計画してますが、何かボランティアできることはないか」という内容でとても丁寧なメールをいただきました。

宮古から気仙沼、石巻、南三陸を見てまわり、お手伝いされたりお話をうかがったり、とても真摯に向き合ってくださってるご夫婦。

「だいぶ復興してるんだろうなと思っていたけど全然ですね」と驚かれていました。

実際に来て、見て、思いを持って、話をきいてくれる方々の存在がとても力になります。

素直に嬉しく、心があったかくじーんとなりました。

ありがとうございました。

(石澤)

 


評価機構の適格認定祝賀会&忘年会

日本助産評価機構の適格認定がおりたお祝いに、スタッフ、関係者のランチ忘年会が行いました。

スタッフ一丸のとりくみで、全国で4番目の認定助産院となりました。

マタニティヨガで託児をしてくださるポケットの皆さんも参加です。

各種サークルの先生、ケアスタッフ、家事スタッフの皆さんです。

よ~し、これからもがんばるぞ~。

(石澤)

 

 


あむあむちゃん入荷しました。

毛糸のおっぱいプロジェクと新メンバーと打ち合わせを行いました。

ニュースレターvol2の作成、販売計画、パッケージづくりや毛糸の管理、会計などなど。年内にやりたいことはたくさん。

気仙沼の編み手さんから赤ちゃんパペット「あむあむちゃん」が届いていました!

お子さん連れでの新メンバーです。子ども達に大ウケの反応。

「あむあむおっぴ」「ミニおっぴ」に続いての、

毛糸のおっぱいプロジェクトオリジナル商品「あむあむちゃん」

ブログで入荷したものをご紹介しますので、ご希望の方は

1、いつのブログに掲載したものか

2、ご希望のあむあむちゃん商品番号

3、お名前 4住所 5電話番号 6メールアドレス

をとも子助産院  tomo@tomo-j.jp までメールで注文ください。

ではご紹介します!すべての販売価格は6000円。送料は500円です。

番号 T003(青とピンクの服)完売しました。

T004(ピンクと黄色の服) 完売しました。

 

T005(オレンジと黄色の服) 完売しました。

T006 (ピンクと赤の服)

 

完売しました。

 

今回は以上です。受注生産も可能ですので、お問い合わせください。

おまけ おまけ用にたくさん編んでいただきました。来年の干支のへびちゃんとみかんと苺です。

(石澤記)


気仙沼の編み手さん訪問

毛糸のおっぱいプロジェクト「あむあむおっぴ」の編み手さん達に会いにいってきました。

仙台から一関経由で2時間半、前回もおじゃました復興屋台村でお昼を食べました。

土曜日なので石澤家族プラス新スタッフの伊東さん一行です。

ほやボーヤがかわいすぎて、グッズを買いあさる母の姿がありました。

海の宝石!いくらの季節です。お店は「大漁丸」さん。

「お子さんの分、サービスでふりかけご飯つけますよ。」

十分大人が満足するくらいの「いくらまぐろ丼」をサービスしていただきました!!!

こどもの人数分。なんとスペシャル!

屋台村の目の前は陥没した道路、たてものの土台だけ・・。

少し離れたところには800メートルも打ち上げられたという大型漁船。慰霊の花束がたむけられていました。

訪れたTさん宅、子ども達もかわいがってもらいながら、たくさん話をしました。

日本舞踊の先生だったMさん、「着物もかつらも何もかも流されて・・・。なんにもなくなっちゃった・・・。ぼーっとして過ごしていたんだけど。布団をくださる方がいる。お茶碗くださる方がいる。
こうして、生きてるのよね。不思議。生かされてるなあって・・・。こんな気持ちになったことなかった。80年生きてて。不思議だなあって。」

今は週1回お弟子さん達と踊る機会もあり、夏にお会いしたときよりも元気になられたように見えました。

最近、仮設住宅から引っ越されたSさん。

「狭いからお父さんと足ぶつかりあいながら寝てたのに、やっと離れて寝られるわ(笑)」

「仮設でるときに、コタツと消火器とヒーターは、仮設の備品だから返してくれって言うのよ。」

集団移転の話もH27年の予定で、高齢者には先行きが不安そのもの。

新しく娘や孫ができたみたいだわ。と言ってくださるおばあちゃんたちのためにも、微力ながらプロジェクトを盛り上げていきたいと思います。

帰りは45号線を南下して三陸道を通ってきました。

南三陸、歌津のあたり。道路の両脇が浸水していて、悲惨な光景が未だそのままに。

もくもくと瓦礫を片付けている工事の作業員さん、周りに何もなくなってしまった近所のコンビニ仮設店舗の店員さん、色々なお仕事をされてる方達がいて、生活がなりたつのだなあとあらためて感じました。

震災から1年8ヶ月。まだまだこれからです。

自分のできることを、できるだけ、やってみようと思います。

(石澤記)


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